
シンポジウム:眼をとじて−“見ること”の現在
百聞は一見をしのぐ。
見えていること。観ること。
生活の中で観ることが少なく、ただ見ていることが多い。
美術館に足を運び、絵を鑑賞する際にもただ見ていることが
多い。
たとえば、人ごみのスクランブル交差点、多くの人にすれ違う。
網膜に映る多くの人、交差点を渡り終えるまでに何人の人と
すれ違うだろうか。もしその中に知り合いが居たら。
たぶん気づく人はごく少数。(今日のご飯は何にしようか・・・
お金が落ちていないかな〜など、すれ違う人を見ていてもそんな
ことを考えていたりして。。。。)
待ち合わせでもしていて、交差点の向こうにいることが分かっていたら、
たぶん分かるだろう。・・・探すから。
それは見ているのではなく探そうとする
意識が働き、網膜に移る像を解析し、判断するからだ。
部屋のどこかに置き忘れた携帯や眼鏡。
探しても出て来ないのに、ふと気づき見つけることもある。
『ここに置いたハズ』の意識から一度は見ているハズの場所に
置いてあるものを見過ごすのだ。
これも意識によって目に入る情報がコントロールされている一つ。
今見ていると思っていることも、本当には観ていないのだ。
見ること とは。。。意識して網膜に入る情報を解析し、理解すること
(何が描いてあるのか分かるなど)だけだろうか。
では全盲の人が平面美術を鑑賞することは不可能か!?
そんな疑問を問うようなシンポジウムが茨城の近代美術館で開かれた。
そのパネラーの中に全盲の白鳥さんという方が参加されていて、美術鑑賞に
ついて話された。10年の間に50もの展覧会に足を運ばれているそうだ。
見えていないのだから、鑑賞するといっても、ボランティアの方や学芸員の方と
一緒にまわり、作品について話してもらうそうだが、
その際には、作品の解説や説明を聞きたいのではなく、作品の印象や感想、
雰囲気を聞きたいのだそうだ。
そうすると、多くの方が困るという。作品を良く観ているはずの学芸員ですら
そうだという。
作品を観て、印象や雰囲気を言葉にして伝えるのは難しいだろうが、言葉に変換
出来ないのは、自分のなかで作品を吞み込めていないからだろう。ただ見ている
だけで。
もう一度、見ること、鑑賞することについて考えるよいシンポジウムだったと思う。
関連リンク
視覚に障害のある人との言葉による美術鑑賞ハンドブック
http://www.ableart.org/handbook/hyakubun-mokuji.html
白鳥さんの見方
http://www.ableart.org/handbook/7-8.html